実は、江戸(今の東京)生まれ!?
勉強もスポーツも出来る優等生
佐藤一斎は、今から約250年前の1772年10月20日に江戸浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)で生まれました。
一斎のお父さんは、美濃国(現:岐阜県の東南部)岩村藩の「家老」という政治の中心的な役職だったんだ。幼い頃から学問や勉強が好きだった一斎。勉強だけではなくて、水練(泳ぎ)や射騎(弓矢)・刀槍などの武術も得意でした。
学問を教える先生として大活躍
江戸時代には、朱子学という学問を古くからずっと教えてきた宗家(そうけ)・林家(りんけ)という家があったんだ。一斎は34歳で宗家・林家の塾長になり、多くの生徒を教えていました。
岩村藩の政治のために
55歳のとき、岩村藩の老臣という藩政の中心人物になった一斎。
一斎はこの当時、仕事に対する心がまえなどを著書で伝え、岩村藩の政治に影響を与えました。
おじいちゃんになっても働き者
70歳で幕府の学問所の総長になった一斎。
83歳の時には、日米和親条約締結の外交文書の作成など、国のために頑張る働き者でした。

幕末のベストセラー
「言志四録」
『言志四録(げんししろく)』とは、『言志録(げんしろく)』『言志後録(げんしこうろく)』『言志晩録(げんしばんろく)』『言志耋録(げんしてつろく)』の4冊の本をまとめた呼び方。
学問だけではなく、思想や人生観などさまざまな教えを伝えています。
現代の政治家が佐藤一斎の一説をスピーチで紹介することも!
「佐藤一斎學びのひろば」では、
たくさんの偉人に影響を与え続ける佐藤一斎の魅力をもっと知ることができます!
(豆知識)本名は一斎じゃない?
初名という、生まれて最初の名前は信行(のぶゆき)。
でも、通称っていって、今で言うニックネームみたいに普段呼ばれる名前が幾久蔵(きくぞう)。
その後、名を坦(たいら、たん)と改めました。
生まれてからずっと同じ名前なのは今では当たり前だけど、江戸時代は人生の節目などに名前を新しくすることはよくあることだったんだよ。
字(あざな)は 大道(たいどう)。字とは、本名とは別の呼び方のこと。江戸時代には、地位の高い人は本名とは別の名前を名乗る風習があったんだ。
一斎は号(ごう)です。号とは、画家や学者などが本名・字とは別に名乗る名前のことなんです。
他に、愛日楼(あいじつろう)、老吾軒(ろうごけん)などの号もあります。